ギャンブラーとして知られる偉人たちをラインナップするとともに、どんなギャンブル人生を送ってきたのかをご紹介しています。
世界的に有名な偉人の中にはギャンブラーの側面を持つ人物も多くいます。歴史上の人物、世界上で有名な著名人・政治家・スポーツ選手など、数多くの偉人がギャンブルを愛し、中にはギャンブルで人生が大きく変わったケースもあります。
この世にお金という存在がある限り、今後も偉人のギャンブラーは続々と出てくることでしょう。
そこで今回は、ギャンブラーとして知られる代表的な偉人たちを調査してみました。あくまでも逸話であるため、話が膨らんでいる可能性もありますのでご注意ください。
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ギャンブラーとして知られる偉人たち
まずはギャンブラーとして知られる偉人たちをピックアップしてみました。
・ナポレオン・ボナパルト
フランス皇帝であるナポレオン・ボナパルトは、1769 年にコルシカ島の貧乏貴族生まれ、フランス革命政府の軍人となりました。そしてカードゲームに熱中するほどギャンブラー好きとしても知られており、頻繁に高額の賭けに参加したようです。
・チャールズ・ジョンソン
17世紀から18世紀初頭に活躍した海賊であるチャールズ・ジョンソンは、多くの著名な海賊たちの生涯を伝える第一級の史科でもあります。また、生粋のギャンブラーとも知られており、ギャンブルに熱中ほど好きだったと知られています。彼は、ゲームに勝って得た勝利金を元に自分の船の改修や改造に使っていたようです。
・ワイアット・アープ
ワイアット・アープは「OK牧場の決闘」で勝ち残った、アメリカ西部の伝説的な保安官で、20世紀から現在に至るまで、西部劇の主人公として映画化もされました。悪人と戦って街の治安を維持する裏では、、暇があればカードゲームに熱中するほどギャンブル好きでもあります。
・ウィンストン・チャーチル
1939年、第二次世界大戦の開戦と時を同じくして海軍大臣となり、翌年には英国の首相に就任したウィンストン・チャーチルは、カードゲームやルーレット好きとしても知られています。時間さえあればギャンブルに熱中することが多くあり、参加するために頻繁にモンテカルロを訪れていたようです。
・フィリップ・S・ホフマン
オスカーを受賞するなど、輝かしい経歴を持つ俳優であるフィリップ・S・ホフマンは、長年にわたって麻薬依存症であったことが知られており、リハビリ施設に入院した過去もあります。今年の2月2日、ニューヨークにある自宅で、遺体として発見されたのです。彼はまた、ポーカーにも熱中するほどギャンブル好きとしても知られています。
・マイケル・ジョーダン
1963年2月17日ニューヨーク州ブルックリンで生まれた元バスケットボール選手であるマイケル・ジョーダンは、バスケの神様として世界中のファンから愛されている存在です。また、高額の賭けに参加するほどのギャンブラーとしても知られており、一度はギャンブルで膨大な金額を失った経験もあるようです。
・ベニー・ビン
アメリカのラスベガスに君臨するカジノ王であるベニー・ビンは、これまでカジノ業界にさまざまな貢献をするだけでなく、数多くのカジノを開設した実績を持ちます。
・ドナルド・トランプ
第45代元アメリカの大統領であるドナルド・トランプは、不動産業の富豪として著名になり、リアリティ番組の司会などタレント業も行ったことがあります。ドナルド・トランプはカジノを経営したりなど幅広いジャンルに携わっており、高額の賭けにも参加していました。
ナポレオン・ボナパルト
ナポレオン・ボナパルトは、軍事と政治の両方でとてつもない実績を残したフランスの皇帝として有名ですが、彼には世間にはあまり知られていないギャンブルに関するエピソードもあります。
初めてイタリアに侵攻した時、当時のイタリア政府の高官たちと一緒にギャンブルを楽しむだけでなく、複数の恋や愛の物語も進んできます。
この時、ナポレオンは彼らに勝負で負けたので、カジノ代を支払うために自分の愛馬を担保にしたあと、再度カジノに挑んだようです。
その結果、ナポレオンは見事勝利を掴むことができ、自分が支払うべきカジノ代を取り戻せたと言われています。ナポレオンはブロンテの小説『モービー・ディック』のモデルでもあります。
その中で登場する船長・アハブが徐々にギャンブルにのめり込んでいく描写があります。この描写は、ナポレオンがギャンブル好きだったことにも影響を受けていると考えられています。
ただし、ナポレオンは政治家としての顔もあるので、ギャンブルを楽しむことがあっても、それが国政に悪影響を与えるような行動は避けていたとされています。
チャールズ・ジョンソン
チャールズ・ジョンソンは、18世紀のイギリスのギャンブラーとして有名で、ブラックジャックが好きだったようです。毎回様々な手法を使ってカードを数え、大金を稼ぎました。
最も有名なエピソードの1つは、1753年にオランダの都市、ロッテルダムにいた時です。当時、フランスからの船旅で大金を儲けていましたが、この時にもう一度ギャンブルをして100ポンドの賭けを行っていたようです。
最初の2枚のカードで20ポンドを勝ち取った後、ディーラーに追加で3枚目のカードをさらに引かせました。そこでディーラーはバストし、チャールズ・ジョンソンは勝利を確信したようですが、受け取ったカードは、1つだけです。
しかし、このカードはなぜか2枚分の価値があり、100ポンドの賭けで8000ポンドも大儲けしました。この勝利は、その場にいた全員を驚かせたことをキッカケに、世界中のカジノで有名になりました。
ワイアット・アープ
ワイアット・アープは、19歳の時にカンザス州エルスワースで初めて保安官となり、ガンマンとして腕を上げました。また彼はギャンブラーとしても有名だったようです。
当日、テキサス州サンアントニオで開催された有名なポーカーゲームに参加したことがあり、最初に負けた時、再戦することを決めましたが、さらに多くのお金を失ったようです。
しかし、冷静さを失うこともなく、少し時間を置いてから再びポーカーゲームをプレイしたようです。それにより最終的に勝ち、さらに大金を獲得しました。
また、アリゾナ州のトンプソンで、ワイアット・アープは軍人たちとポーカーゲームで遊んでいた時に、スリの被害にあったようです。
しかし、このスリをすぐに追いかけ、その場で捕まえました。その後、盗まれたお金を回収するために、すぐに街の周りを走っている他の仲間のスリを見つけ、全員を逮捕したようです。
これらのエピソードは、ワイアット・アープがギャンブルのテーブルでも彼の冷静さと勇気を発揮し、それが後に彼が西部の有名な保安官として名を馳せる要因となったことを示しています。
ウィンストン・チャーチル
ウィンストン・チャーチルといえばヒトラーから世界を救った政治家として知られていますが、優れたギャンブラーという裏の顔もありました。
実はギャンブルに関するエピソードの数は多く、中にはウィンストン・チャーチルの政治的生命にかなり影響を与えたものもあるようです。
チャーチルが最もよく行っていたギャンブルは、競馬が多く毎回かなり熱中していたことをキッカケで、ウィンストン・チャーチル・ルームという名前の私設競馬クラブを設立しました。
また、自分の車のナンバープレートに好きな競馬の勝敗を示す数字を採用していたようです。このギャンブルには、政治家としてのキャリア生命に多大な影響を及ぼした経験もあります。
1922年、ウィンストン・チャーチルは財政的な困難に陥り、その借金を返済するためにモンテカルロに行きました。
そこで、ギャンブルを行いルーレットで大金を勝ち取り、見事借金を返済することに成功したようです。この勝利により、無事に政治の世界に戻ることができました。
また、第二次世界大戦中にもギャンブルにハマり、1941年、イギリスが勝利することを予想して、アメリカのカジノに大金を賭けたようです。そして、予想が的中し大金を得ることに成功したようです。
ウィンストン・チャーチルのギャンブルに関するエピソードは多岐にわたり、人生とキャリアに大きな影響を与えたものもあり、ギャンブルの才能は彼の政治的な才能と同様に素晴らしかったと言えます。
フィリップ・S・ホフマン
フィリップ・S・ホフマンは、アカデミー賞を受賞した大物俳優として知られており、私生活でもギャンブルに没頭していたと言われています。
ホフマンは特にポーカーが好きで、友人たちと一緒に定期的に遊んでいました。また、カジノにもよく通っており、特にブラックジャックが得意だったようです。
しかし、ホフマンはギャンブルで大金を失った経験もあります。当時、映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』の撮影中に起きたエピソードです。
この時の共演者たちとカードゲームをしていたホフマンは、一瞬のうちに1万ドル以上もの大金を失いました。その後、共演者たちに「俺、これ以上はできない」と告げ、途中でゲームをやめたようです。
しかし、ホフマンはギャンブルに没頭しすぎるあまり、映画撮影中であっても我慢できず、カジノに通っていました。
その影響で撮影が遅れてしまうことも多々あり、共演者たちからも心配されたようです。結局、ホフマンはギャンブル依存症に陥ってしまい、2014年には薬物過剰摂取によって亡くなってしまいました。
マイケル・ジョーダン
マイケル・ジョーダンは、バスケットボール界の英雄として有名ですが、ギャンブル癖も知られています。ギャンブルを行う時は、多額の賭けにまで手を出し、その結果、何度もトラブルに巻き込まれていたようです。
1992年、ジョーダンはオリンピックのバスケットボールチームの一員としてバルセロナに行きました。そこで、チームメイトのスコッティ・ピッペンと一緒に、オリンピック村でクラップスをプレイして、多額を賭けていたようです。
それ以外にもチャールズ・バークレーとよく一緒にプレイし、1回のギャンブルで100,000ドルという大金を賭けることもあったと言われています。
ジョーダンはまた、ゴルフ中であっても仲間と賭け事を行っており、1回のゴルフで10万ドルを賭けることも多々ありました。
このようなギャンブルには、時々トラブルも付いて回り、1993年にデトロイト・ピストンズのアイザイア・トーマスと賭けを行った原因で、NBAによって罰金を科せられた経験もあります。
また、1999年には、ルイジアナ州のカジノでルーレットをプレイしてた時、カジノのスタッフによって賭け金の紛失を疑われ、大きな騒ぎが起きたようです。
しかし、ジョーダンは自分のギャンブルにまつわるエピソードをあまり公に話すことはありませんでした。これは、ギャンブルがジョーダンの個人的な楽しみであると考えており、彼が誰かに説明する必要はないと感じていたようです。
ベニー・ビン
ベニー・ビンは、20世紀当時のカジノ業界でもかなり有名な人物の1人です。ラスベガスのサンズ・ホテル&カジノを含む数多くのカジノを運営していました。
ラスベガスで成功したビジネスマンとして知られていますが、同時に大金を掴み取るギャンブラーとしても知られています。
ベニー・ビンの最も有名なギャンブルエピソードは、1967年のクリスマスイブで起こった出来事です。当時ラスベガスのサンズ・ホテル&カジノで、コロンボファミリーの幹部であるジミー・フェラーラとミッキー・コーエンと一緒にプレイしていました。
ビンはブラックジャックで3日間連続でプレイし、結果的に$400万を稼いだ実績もあります。この時、ディーラーにチップとして$100万を渡して、そのまま去ったようです。
また、ビンはポーカーにおいても非常に有能なプレイヤーで、1972年に開催されたワールドシリーズ・オブ・ポーカーのメインイベントに出場し、3位に入賞した実績もあります。
この時、ロイヤルストレートフラッシュを持っており、これは自身のポーカー歴の中でも最高の手札だったと言われています。
ビンはギャンブラーだけでなく、実際にカジノの経営にも熱心に取り組んでいました。これにより、カジノ業界に革新をもたらし、ラスベガスを世界的なギャンブルの中心地にするために貢献しました。
その結果、ベニー・ビンという名前は、当時から現在までラスベガスのカジノ業界で非常に高く評価されています。
ドナルド・トランプ
ドナルド・トランプは、アメリカの実業家、政治家として知られている元大統領ですが、そのキャリアの初期には、ギャンブル業界にも関わった実績もあります。
最初にカジノを開業したのは、当時1976年、ニュージャージー州アトランティックシティにあるリゾート地のカジノです。トランプ・プラザというカジノを開業し、その後さらに2つのカジノを買収しています。
トランプは、カジノが最高のものであると周囲に宣伝して回り、高級ホテルや娯楽施設を提供したようです。カジノは一時期非常に成功したように見えました。
しかし、1990年代初頭にはドナルド・トランプは徐々に借金を抱えるようになり、多くのカジノを手放す結果に繋がります。
それからトランプはカジノ事業から撤退した後、再び不動産事業に戻りましたが、自身のカジノ事業はキャリア生活の中で重要な役割を果たしたことは確かです。
また、トランプ自身もカジノで実際にプレイすることもあり、大金を使って賭けを行っていたとも言われていますが、そのエピソードについては具体的な情報はあまりないようです。
ギャンブラー偉人まとめ
今回は、ギャンブラーとして知られる偉人たちをご紹介させていただきました。世界的に有名なあの偉人がまさかギャンブラーだったとは… っと驚かれたかもしれません。
ギャンブルというのは自分がどんな立場であれ、誰もがハマってしまう魅力があります。しかしギャンブルにどっぷりとハマってしまい、人生が転落してしまった偉人も多くいます。
ランドカジノ、オンラインカジノ問わず、カジノで遊ぶ場合には資金管理をきちんと行い、余裕のある範囲内で楽しむようにしましょう。